便利さという不便さ

 インターネットの普及が社会により浸透してきています。
 便利さが当たり前になってきていますね。

 最近では、IoT(インターネットオブティングス、モノのインターネット化)がどんどん進んでいって、もはやインターネット無しでは生活できなくなってきています。
 そんな中、依存が過ぎてしまうことによる弊害も出てきています。

 例えば家の鍵を携帯で遠隔操作できるシステムがあります。
 通常の鍵を持ち運ぶことなく携帯だけで操作できるので、荷物も少なくなり便利だということで普及しています。
 しかし先日はシステムの障害から、鍵が開かないというトラブルが発生しました。

 目の前に見えているものであれば、自分の力でどうにか対応できるものなのかもしれませんが、インターネットのように見えないものであると、自分ではどうすることも出来ません。
 業者さんにシステム対応してもらうのを待つことしか出来ないわけです。

 だからといって、それ自体を否定しているのではありません。そういうマイナス面も想定して使うべきだと思うのです。すべてにおいて便利だというものはないのです。

 

 そう考えると、もしかすると便利さは不便さでもあるのかもしれません。
 不便さが逆に便利さであるのかもしれません。

 便利さの中に身を置きすぎている現在、生活すべてを便利さで満たすのではなく、不便さをあえて取り入れることも価値があるのではないかと、考えてみたりします。